top of page

伊集院秀麿寫眞館

おでんのだし
​Gallery

  • Black Instagram Icon
最新記事
特集記事

「資本主義」をシンプルに考えると、ちょっと怖い未来に行き着く

  • おでんのだし 166話
  • 2017年3月30日
  • 読了時間: 5分

私たち「日本国民」は今、「資本主義社会」の中で生活しています。これは、まぎれもない事実であり、その中で日々の糧を得たり、楽しんだりしながら、稼いでいるわけですな。公務員とて、税金という「資本」で政策という活動を通して、税収を上げるという経済活動をしているわけです。  資本主義の単純な仕組みとして、資本を持った人々が、サラリーマンなどの労働者を使ってより多くの利益を上げるために行動する経済体制であるということです。  この経済体制の中で得られた利益や給料は私物化できるので、より豊かになりたいと願う人々は一生懸命に働いたり、どうすればより多く儲けられるのかを一生懸命考えることが基本になります。そしてこの事が、資本主義社会で生活する人々の暮らしを、豊かで便利なものに変えてきたというわけです。 でも、最近あたしゃ、この経済体制にはちょっとばかり不安があるんですな。あ、だからといってあたしゃ「社会主義」「共産主義」にゃ全く興味ないです、むしろ嫌いなくらい。 ナイナイヾノ'・∀・`)o  私が危惧するのは、この先、資本主義経済というものは本当に「持続可能」なんだろうかという素朴な疑問なんですよ。かといって、社会主義国や共産主義国家のように、これら財産の私有権を規制すれば、経済発展は望むべくもない、言論の自由さえない国なんかもっと持続不可能だと思います。  私が気になるのは、「資本主義」という体制は、「終わりなき競争」の繰り返しで成り立ってるって事です。もちろん、「豊かになる競争」です。これは宿命ですが、この事がかえって不幸を生んではいないのかという事を、特に最近感じるんですな。 例えば、ある社が新しい商品を販売していたとします。たまたまブームにもなり、その商品は大ヒットしました。その商品は爆発的な利益をもたらしたとします。 しかし、それもつかの間。柳の下のドジョウは狙われます。  あっという間に、あちこちで類似商品が発売され、顧客の奪い合いが始まります。各社とも、売れるためには値引き合戦をしあい、そのために社員のコストを下げたり努力しますが、その陰で社員は収入が下がったり、会社の負債も増えたりと、働くほど酷い状況になり、各社とも疲れ切ってしまうと言う状態になっているのを見かけます。  資本主義はとどのつまり、貧富の差を広げるだけである。という説がありますが、競争ですから勝者と敗者が出るのが前提ですから、これはあたりまえの結論であると言えます しかも、この現象は「市場の自由」に任せる分だけ顕著になることは論を待たないと言うことです。言ってみれば資本主義の「負の宿命」といえるものですな。 ごくわずかの範囲での経済活動においての自由な競争は、むしろその範囲の活性化をうみだし、人々が総じて豊かになるという場合も考えられます。ですが、問題はこの競争は、時と共に巨大化するという性質を持っていることは、歴史の事実が伝えています。なぜなら、産業革命によって生まれた資本主義は「拡大再生産」が目的であり、それに伴って「資本」も拡大するからです。現在など「国際資本」として、とっくに国境を越え「グローバル化」などと言われている時代です。そして、この経済システムがもっとも機能できるのは、ボーダレスな単一社会であり、世界平和の状態だといえます。  だったらけっこうではないですか。と思う向きもあるんですが、問題は、これを求めているのは人間の幸福の自由からではなく、あくまでも資本の自由からであるという事です。  ちょっと難しいですが、資本主義社会は、資本の自由を確保するために議会制民主主義を必要としますが、その民主主義は人々の幸福が目的ではないと言うことです。   また、このように国際資本が全世界的になればなるほど「資本による専制」が求められると言うことになります。簡単に言うと、企業というのは完全なヒエラルキーであり、民主的な会社なんかは競争には勝てないよ。という事実なんです。また、人々は「雇用」という専制的なシステムの下に「隷属」しなくては、豊かさはおろか、明日の生活も困ることになるではないですか。  グローバルになれば、この傾向が極端になると言うことではないだろうか、という危惧を抱いていますね、あたしゃ。  ローマ帝国やモンゴル帝国も巨大化した版図をもてあまし、結局分裂したではないですか、このような混乱が、グローバル資本主義の果てに横たわってる気がしないわけでもないんです。 確かに資本主義は、その豊かさの追求により、人々を豊かに幸福にしたと言えます。人間はそもそも「自由」であることが幸福であり、その自由が社会主義諸国のような「主義(イデオロギー)」による牢獄から解放されているからです。しかし、それはたまたまだと言うことです。 なぜなら、資本主義という物の本性は、果てしない利潤の追求であり、 人々を幸福にすることを目的としてないからです。だって、いくらお金を貯めたって、墓までは持って行けないじゃないですか。  そして、資本という「価値」は、終いには人が使い切れないだけの「価値」が飽和状態になるのだと言うことです。そして、それが偏在し、持つ者と持たざる者とに二極化する事になるのでしょう。それは幸福な社会ではないと考えるんですよ。そうなってくると、不満がたまり、所得の分配を求めて、また偏狭なイデオロギーが頭をもたげてくるんでしょうね・・・・。でも、それもやっぱり欲と嫉妬という煩悩からだと思いますな。どっちもどっちです。 


 
 
 

Comments


ソーシャルメディア
タグから検索
アーカイブ
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square

© copywrite by Ijyuin Hidemaro2005

bottom of page